知恩院は浄土宗の宗祖・法然上人が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、浄土宗の総本山です。江戸時代の徳川将軍家から一般庶民まで幅広く信仰を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」と呼ばれています。
参拝に来るとまず、目にするのが三門(国宝)です。一般的な寺院の門は「山門」と書くのですが、知恩院の門は、空・無相・無願という、悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門(三解脱門)の意味で、「三門」と書くそうです。その大きさは目をみはるものがあります。
三門を抜け、急な石段を登ると、国宝である御影堂が左手にご覧頂けます。御影堂は知恩院の本堂(国宝)にあたり、寛永16年(1639)徳川三代将軍家光公によって再建されたものです。
その他にも、重要文化財に指定されている集会堂、明治年間に建てられた阿弥陀堂、重要文化財に指定されている、大方丈、小方丈、唐門、大鐘楼、勢至堂のほか、京都府指定文化財に指定されている御廟、拝殿など、見所は満載です。参拝するには十分な見学時間を予定されることをお勧めいたします。(徒歩7分)
八坂神社と言えば、有名なのは、豪壮かつ華麗な祭り、「祇園祭」です。京都三大祭りのひとつ、祇園祭りは、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼であり、京都の夏の風物詩といえます。
祇園祭は、7月1日の「吉符入り」にはじまり、31日の境内摂社「疫神社夏越祓」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事がくり広げられます。
また、春には隣接する円山公園の枝垂れ桜が有名で、シーズンになるとライトアップされ、幻想的な雰囲気を醸しだします。
八坂神社は本殿が国の重要文化財に指定されており、通年の観光スポットとしても知られています。(徒歩10分)
青蓮院の庭園は相阿彌作と伝えられ、室町時代の様式を残した名園として知られています。宸殿から眺める庭の風情はそのまま絵になるような美しさです。初春を告げる万両や、春雨にぬれて鮮やかさを増す千両、宸殿の庭先に咲く紅梅の鮮やかさ、大日堂の枝垂桜や染井吉野の可憐な姿。春の主役が終わりを告げる頃、苔むした樹木の根元に散った桜や椿が愛おしさを伝えてくれるでしょう。満開のツツジが小堀遠州作と伝える庭で新緑との鮮やかなコントラストを見せてくれます。 秋の紅葉は庭を染め上げ、冬には竹林を雪が化粧します。
青蓮院は季節の変化を楽しませてくれるでしょう。(徒歩7分)
一本橋(行者橋)は、 比叡山の阿闍梨修行で千日回峰行を終えた行者が粟田口の元三大師に報告した後、 京の町に入るときに最初に渡る橋で、行者橋、阿闍梨橋とも言われています。
江戸時代には、この橋を粟田祭の剣鉾が差して渡る「曲渡り(曲差し)」が有名でした。
白川のシンボルであり、絶好のインスタスポットとなっています。(商店街南側出口すぐ)
白川のせせらぎを聞きながら歩くと、「餅寅」という和菓子店があります。このお店が代々、光秀の首塚を守ってきました。
明智光秀(1528~82)は,天正10(1582)の本能寺の変後,羽柴(豊臣)秀吉(1536~98)と山崎に戦って敗れ,山科小栗栖で殺されました。その首は粟田口附近に埋められ,その上に塚が築かれ、この塚に建てられた五重の石塔がのち現在地に移されたといわれています。現在は五重石塔が明智光秀首塚として知られています。「餅寅」で名物の“光秀饅頭”を購入するのもいいでしょう。(徒歩3分)
スサノオノミコト・オオナムチノミコトを主祭神として祀り、厄除け・病除けの神と崇敬されています。京都の東の出入口である粟田口に鎮座する為、古来東山道・東海道を行き来する人々は旅の安全を願い、また道中の無事を感謝して当社にお参りされ、いつしか旅立ち守護・旅行安全の神として知られるようになりました。
祭には神輿に先行して剣鉾が巡行します。剣鉾は祇園祭の山鉾の原形と云われており、 室町時代には祇園会が行われない際は粟田祭をもって御霊会としたと伝えられています。
一説には奈良朝より活躍した粟田氏の氏神として創建された社とも云われています。(徒歩10分)